【短編】とじようの現実郷

エッセイと俳句。 最近はたまに小説。 人質を解放してください。

練習

この逆剥けはもう手遅れだと思った。

もうこの真っ白な空間に来てからしばらく経つ。清潔に見えるが、本当のところどうなのか分からない雰囲気のこの病院は、特有の匂いで満たされている。ここに来るまでにすれ違ったのは老人ばかりで、いかにもその辺の病院という印象を与えた。

ベッドに座る彼、そのそばのテレビ台にはヤンキー物のコミックが置いてあり、院内での途方のない時間とページをめくる姿を想像させた。

生まれてこの方入院をしたことがない私は、病院という場所にある種のロマンを感じていた。見慣れない器具たち、テレビカード、独特の匂いを吸ったシーツや椅子、その空気で成長したであろう観葉植物。何より、夜の病院を想像すると、妄想は無限大だ。幽霊が出るかもしれないし、何か怪奇現象が起きるかもしれない。とにかく、非日常を味わえることにワクワクしていた。

彼のベッドに、白い服を着た人がやってきて薬の説明を始めた。重症という訳では無いのだが、手術を行ったので、痛み止めを処方するというようなことを言っていたのだと思う。私はその間自身の人差し指の爪を見ていた。非日常を少しでも味わえると足を運んだ病院は、既に日常に寄りつつあった。

彼にそろそろ帰る旨を伝え、支度を済ませ、病室を後にする。

手を振る僕の人差し指の先は荒れており、彼の人差し指にはグルグルと入念に包帯が巻かれていた。