【短編】とじようの現実郷

エッセイと俳句。 最近はたまに小説。 人質を解放してください。

エッセイ

 歴史と筋トレは同じだ。量をこなせば量をこなすほど身になる。

 筋肉は裏切らないとされ、知識は奪われないとされている。

 僕は歴史が嫌いだ。過去のことばかり学んで、何になるのだ。他にやることがなくて暇で暇で仕方の無い人、現代に楽しみが見いだせない人、過去ばかりに縋る老人が好むものだ。

 第一なぜ知りたくもない過去のことを強制的に学ばせられているのかが分からない。結局歴史は暗記であるし、歴史の時間がある意味もよく分からない。

 歴史の授業は眠くなってしまって、ほぼ毎回寝ていた。

 もちろんテストは全くわからず、解答欄には少年漫画の技の名前なども書き込んでいた。その時間はかなり楽しかったように思う。

 僕は筋トレが嫌いだ。筋トレは毎日続けなければ意味が無い。飽き性であり、自分に甘い僕は長続きせず、手を抜いてしまう。

 腕立ての時に感じる手と床との間にある空間。温度。床に顔が近づいた時のにおい。何を考えていればいいかわからない時間。骨と床がゴリゴリとあたり、痛みを感じる時。繰り返し行われる飽きのくる全く同じ作業。ダンベルの無機質な冷たさ。持ち手のやわらかい器具が手のひらにふれる感触。全てが窮屈に感じられ、圧迫感がある。とても嫌だ。

 ご飯を食べる量も少ないので、筋肉が付きにくいどころか体が筋肉を分解して何とか生き延びている。

 「筋トレをすると性格が明るくなる」と考えられている。明るくなると自分のアイデンティティが失われる気がする。といって筋トレから逃げている節がある。

 僕は歴史と筋トレが嫌いだ。

 歴史は奪われ、筋肉は裏切る。

 歴史は日々研究されており、新しい説が発見されたり、改定されることがよくある。

 鎌倉幕府の成立が1192年から1185年に変わったように、学んだはずの知識が変わってしまうことがある。

 知識は奪われる。

 筋トレも同様に様々な研究が行われている。

 我々が体育の授業で行っていた昔ながらの腹筋は効果が薄いとされ、米軍の体力測定から除外されたというニュースがある。

 筋トレは裏切る。

 今まで学んだこと、頑張ってトレーニングしたことはなんだったのだろうか。

 僕はどこにもぶつけようのない怒りでもない、悲しみでもない、なんとも言えない感情になる。結局は憤りを感じてしまうのだが。その憤りが生きる活力になっているのであれば全てが悪いという訳では無い気がするけれど。

 僕はつくづく、歴史と筋トレは同じであるように思う。