【短編】とじようの現実郷

エッセイと俳句。 最近はたまに小説。 人質を解放してください。

【短編小説】ファン

「ネカフェはほんま住めるで」

 ずっとおれるわ、体育の日高先生が言う。

 隣の席に座っている、英語の安田先生は、先輩の日高先生に対してタメ口混じりに嬉しそうに相槌を打っている。

 教師になってから、というより社会人になってからは怒涛だった。歳を重ねるごとに1年の体感速度が数週間ずつ縮まっている。もしかすると1年が数カ月や数日に感じてしまう日、いや数時間に感じてしまう日が来るのではないかと思ったが、怯える時間すら無かった。ただ、その時間が早くなるにつれてなのだろうか、職員室のコピー機のように、一定間隔で紙を吐き出すように精確に、それでいて、印刷したてのような暖かさとなめらかさで仕事ができるようになった。もっとも、もうコピー機なんて使うことは無い置物である。ここ数年で教科書やプリント類は全てタブレットスマホ、パソコンなどの電子機器に変わった。こういった部分が時を早く感じさせているのかもしれない。

 大学を卒業してすぐ、国語科の教員として働いているので、会社員のスピード感は分からないが、日々授業やその準備、部活、膨大な量の添削に追われている教員は会社員より絶対に忙しい。

 ようやく仕事に慣れ始めたことで、良いのか悪いのか、焦りを感じるようになってきた。

 日々が目まぐるしく変わりすぎて不安だ。特に3年の生徒を見ると思い悩むことがある。受験期の不安と焦燥、実体のない何かと戦っている心地だ。

 誰かがエンターキーを強く叩いた。授業で使う動画の再生音、コミュニケーションツールの通知、この部屋で聞こえる音も時間とともに変わっている。

「飯とかドリンクバーあるし、シャワーとかもついてるやんあれ。長い時間おっても安いからええわ。」

「たしかにたまにはいいかも!私は好きな漫画でたらすぐ単行本買っちゃう人なんで、なかなか行こうって機会ないんですけどー」

「安T漫画好きやもんな。あれちゃうん、『アイランド・パーク』」

「そうなんです!めっちゃファンです。特に推しのオークニーがかっこよくて。なんであんなかっこいいんやろ。」

 あ。

 チャイムが鳴ると同時に、職員室は一気に静かになる。同僚たちはタブレットやノートパソコンなどの電子機器を片手にキビキビと動き出す。私も担任をしている2年1組の教室に行かなくては。

 多忙な日々を送っているが、生徒と触れ合う時間は案外楽しい。何事にも無頓着な私だが、生徒がちゃんと出席していれば嬉しいし、休んでいる生徒や体調が悪そうな生徒がいれば心配で気にかけてあげたくなる。出席はコミュニケーションアプリでとることになっているが、実際に生徒の顔を見て、雰囲気や体調を把握したり、些細な成長を確認するのは最も重要だと言える。

 ホームルームが終わったあと、岩方と吉田が談笑している横を通り、掲示物をはりかえようとすると、岩方に呼び止められた。相変わらずこいつらは仲良しで人懐っこい。

「先生『アイランド・パーク』みてへんの」

 生徒たちや若者の間で流行っているものも把握できない年齢になってきている。出来るものなら全て網羅して、生徒や周りの先生と話したい気持ちも無い訳では無い。

「あー、それなんか安田先生たち話してたわ」

「めっちゃおもろいで、な?」

岩方は椅子にもたれている吉田に問いかける。

「おん、最近アニメ始まったから、今のタイミングで見るのおすすめですよ。面白いんで見てみてくださいよ。」

「マジで続き気になるわー」

「そうなんや、また見てみるわ」

掲示物の方に向き直しながら答える。

「絶対見んやん」

 

 

 

 月曜日は担当する授業数が多く、気がつけば放課後だった。

宮沢賢治の詩とブルーライトをぼーっと眺めながら、今日くらい早く帰るかと思い、支度をはじめる。

 席を立つと、ちょうど安田先生が自動販売機から帰ってきて、

「柳瀬先生はやいですね、デート?」

と聞いてきたが、軽くあしらって学校を出た。

 電車に乗り、最寄りの駅に着くと、珍しく早く帰れたので(仕事はまだ残っているが)、外食でもしてから帰ろうと思い立った。たまに行く、我が家のアパートまでの帰り道にある個人経営の居酒屋にいこう。

 過ごしやすい気候だが、段々暑くなって来ている。薄手の湿った毛布が覆いかぶさってきているようだ。ネクタイをほんの少しだけ緩める。

 そういえばこの前、衣替えだった日に岩方が冬服のまま登校してきたことを思い出す。そんなことを言っている間にすぐ夏休みになり、学年が変わり、彼らは卒業していく。誇らしいことだ。時間の流れにはいいことが沢山あると思う。

 駅から国道沿いに歩き、自動販売機のあるコインパーキングの先が居酒屋だ。

 店の前に立つと、引き戸にA4サイズのプリントが貼り付けられていた。落胆した。そういえば提灯にも光が灯っていない。より一層、どんよりと場の湿度が上がった。こればっかりは仕方がない、居酒屋からしたら月曜日は開けていなくても問題ないのだろう。

 大人しく年季のある自分のアパートに帰ろうとした矢先、国道の反対車線に、ネットカフェがオープンしているのが横目に見えるではないか。ネットカフェベッドタウン。  全く気に止めていなかったが、そういえば近日オープンと書いていた気がしないでもない。もうオープンしたのか、今朝のこともあるし、時間があるので行ってみることにしよう。

 

 

 『アイランド・パーク』はシチュエーションスリラーと言われるジャンルらしく、閉鎖された島の中で複数人の高校生が協力して謎を解いたり、時には裏切りあったり、そして殺しあったりするというような内容だった。

 なるほどこれは面白い。フロントで貸し出された電子書籍や映像作品が楽しめるタブレットを使い、ページをスイスイとスワイプする。誰かが死ぬかもしれないスリル、極限のサバイバル感、そしていつもいい展開で場面が変わるところがすごく惹き付けられる。

 特に参謀的立ち位置のオークニーはキャラクターデザインもさることながら、頭脳明晰でどこか影のある感じがとても魅力的なキャラクターだと思った。

 3巻4巻と夢中で読んでいるうちに、かなりの時間が経っていた。国語教諭ということもあり、読書は早い方なのだが、緻密な心理戦があったからか、読むのに時間がかかってしまったのだろう。家事や明日の準備もしなければならないし、5巻は読みかけだがここで中断。速読のような日々に不安と少しの苛立ちを覚えながら、家に帰った。

 

 

 「マジで?言うたやろ。」

「ほんまに読んでくれたんですね、何巻くらいまで読んだんですか?」

私はホームルーム後に2人を呼び止め、少し自信がある感じで話した。

「たしか、5巻の途中やったと思うわ」

「いや先生、今まだ4巻までしかでてへんわ」

「あれ、じゃあ4巻やわ、」

「続き気になりますよね!?てか先生アニメもクオリティ高いんで、見てみてくださいねまだ2話なんですぐ見れます!」

「おう、普通にハマったから見てみるわな」

「なんか嬉しいな?」

「おん」

 その後も今後の展開の予想についてや、好きなキャラクターなどについて少しだけ話し合った。生徒たちと私が感じている時間の流れは違う。

 人の体感時間は20歳で折り返し地点だと言う話がある。私の体感と比べると、こんな些細なやり取りでも、生徒たちにとっては濃密で、かけがえのない思い出になることもあるだろう。

 時の流れは悪い部分もある。どうやっても取り返しのつかないものであるし、戻すことは絶対に出来ない。この歳になっても、それが不安で仕方がない。

 もう既に私の永遠は半ばをすぎている。

 


 安田先生が大喜びしている。

「キャラクター誰が好きですか!?私オークニーめっちゃ好きなんですよ。」

漫画を読んだことを伝えると、いつにも増して元気な声色で食いついてくる。

「ああ、あいつかっこいいな、でも死んでもうたよなー。」

「え、あいつ死ぬん!?」

と、アニメしか見ていないらしい日高先生が驚きの声を上げた。

「いや死なないですよ、死亡フラグもないって。」

「あれ、おかしいな、昨日読んだ時、死んでもうたかーと思ってんけどな。俺も好きなキャラやったから印象に残ってるねんけど。」

「いやそんな縁起悪いこと言わないでくださいよ。推しが死ぬなんて耐えられへんわ!」

 


 今日は昨日漫画に夢中になったせいで、こなせなかった業務があった分、帰るのか遅くなってしまった。

 雨が降っている。暗くなった帰り道を、居酒屋の提灯を目印に歩いていく。『アイランド・パーク』は最新刊まで読み切ってしまったようだが、どうしても続きが気になる。まんまとハマってしまった自分がおもしろおかしくて右の口角だけを上げて歩いている。右手に傘を持ちながら、右足は水溜まりを避ける。こうなったらアニメも見たい。2話なら1時間もかからないだろうし、ネットカフェで見てから帰ろうと横断歩道を小走りで渡った。青信号の時間は異様に短く、点滅は雨に滲んでいた。

 受付を済ませ、アニメを再生しようとタブレットを操作していると、自分の利用履歴が残っていることに気がついた。前回会員になり、ログインしたため、閲覧履歴が残っているのだ。

 


ヤナセイチロウ(2030年6月18日(月)18:42ー21:56)

 


 それなりに長い時間滞在したのだなと思い、読んだ書籍のリストを見る。

 


・『アイランド・パーク1』

・『アイランド・パーク2』

・『アイランド・パーク3』

・『アイランド・パーク4』

・『アイランド・パーク5』

 


 あるじゃないか、5巻。やはり自分の勘違いではなかった。最近発売されたのだろうか。ドリンクバーのコーヒーを啜りながら、下の方へスクロールする。すると、あなたにはこんな漫画もオススメです、という欄があった。そこには『アイランド・パーク6』から順番に、『アイランド・パーク15(最終巻)』までの表示があった。

 


ーーーおかしい、どう考えてもおかしい。同タイトルの違う漫画かと思い、読み進めてみたが、それはどう考えてもカナイカツコの『アイランド・パーク』だった。時計の針が頂上にたどり着きそうなことにも気づかず、どういうことだろうかと頭を悩ませていた。いや、違う、夢中で読み進めていたのだ。おかしいと思いながらも、ただ単に、おかしいと思う時間なんてないくらいに作品が面白く、手を止められなかったのだ。同僚や生徒たちより先にストーリーや結末が知りたいという少し邪な考えもなかった訳では無い、ただひたすらに食指を左から右へ動かし続けた。

 


 気がつくと全巻読み終えていた。まずい、日付は遠に変わっている。早く帰らなければ。

 カウンターへ向かい、会計を済ませ、領収書を素早く受け取り、握りしめたまま店を出る。ずっと座っていたせいか足が思うように動かない。信号を渡り、提灯を目印に帰ろうとするが、もうそんなものは出ていない。そんな時間なのだと思う。息を切らしながらアパートの前に着いたはずだった。

 風が吹き抜けた。何が起こっているのか分からなかった。意味がわからなかった。握りしめていた領収書明細がヒラヒラと揺れるので目を落とす。

 

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              ネットカフェ ベッドタウン 葵町店

××県××市葵町××

電話 ××

2080年6月19日(水) 22:46

                                     領収書

会員ナンバー××

ご利用ブース××

入店時刻2030年6月19日(火)22:45

退店時刻2080年6月19日(水)22:46

 

 

通常利用ーーーーーー

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