【短編】とじようの現実郷

エッセイと俳句。 最近はたまに小説。 人質を解放してください。

【単発】派手

 知ってたと思った。分かってたわ、と。

 手作りであろうくす玉が割れて、思ったよりも早いスピードでスパンコールと紙吹雪が降り注ぐ。雪というより雨だ。水溜まりみたいになった紙吹雪に目を落としながら、いつもはクラシックが流れていたことを思い出していた。頬がより一層熱くなった気がしたーーー

 

 

 ほんの数十分前の話だ。休みだったので、自宅でダラダラとしていた。寝そべりながら、スナック菓子と炭酸飲料を嗜む時間は至福だ。起きてそのままの格好、乱雑なベッドの上で動画を見ていると、現実を忘れることが出来る。

 最近買ったステンレス製の氷のおかげで、炭酸飲料は薄まらず、しかも長い時間冷たいままだ。次の動画をタップする。1000度の鉄球は見飽きた。いつまでそれやってるんだ、1000度の鉄球ってなんだ、ステンレス氷の対義語じゃないのかそれは、などという考えが浮かぶ。

 そういえば小中と同じだった地元のアイツは、まだ動画を上げ続けているのかと思い立ち、人差し指で検索欄に触れる。その動作と同時に、何を検索しようとしたのか忘れてしまい、数秒間固まる。検索欄を凝視しながら、残り少なくなった炭酸飲料とステンレス氷を口の中にかきこんだ。ガリッと音を立てたのは氷ではなかった。

 

 

ーーー「おめでとうございます。」

下を向いていた私に対して、マスクをした女性たちは言った。

 どう考えてもそうだった。まあそれ系だろうな。入るか迷った。扉を開ける前からただならぬ雰囲気だったし、なんなら扉がガラスなので、外からくす玉や派手な飾りが見えていてお祝いムードだった。

 紺色のVネックを着た男が前に出てきて、くす玉から垂れている紙に書かれていることと同じようなことを言った。

「あなたで1万人目の患者さんです!!」

院内のボルテージが上がる。

 ソファに座っている男子中学生、お前はここがこの世でいちばん怖い待ち時間を過ごす場所だと言うことを忘れてしまったのか。周りと一緒になって勢いよく手を叩いている。

 1万人目って、歯医者でそういうの無いだろ。

 待合室は盛り上がりまくっている。歯医者がこんなに沸いているのを見たことがない。こいつらすごくわいてる。本日の主役ということだろうか、スウェット姿のままの私に、不織布マスクをした若い女性がタスキを掛ける。右肩から左下腹部にかかっているそれは、真っ白だった。どうしていいか分からず、キョロキョロしていると、紺色のVネックを着た院長が靴箱からスリッパを出すために屈んだ時、リーバイスを履いていることに気がついた。勘弁してくれ。奥歯が折れているのだ、こっちは。

 口の中の無惨な部分を噛み締め、食いしばりながら、歯が折れている、ということを言おうとした。しかし、痛みがあるからか上手く言い出せぬまま、ムードに流され、パーティは決められたであろう段取り通りにどんどん進んでいく。ついにはツンツンにとんがった帽子まで被せられる。不織布マスクの若い歯科助手は、箒で紙吹雪を片付けながら、

「びっくりですよね、恥ずかしいことさせてしまってごめんなさい。」

などと言った。そうじゃない。歯が、歯が折れているから赤いのだ。気が気でないのだ。ていうか片付けるの早いな。

 もう1人の中年の歯科助手が、スパンコールだけで良かったんじゃない、みたいなことをボヤいた時、一瞬二人の間に険悪な空気が感じ取れたが、やり取りを見終わらないうちに、

「豪華景品もあるので、楽しみにしていてくださいね。」

とリーバイスが言う。上がった口角から、ギラギラと不自然に白く光る歯が見える。それと同時に、なんでこいつは私が歯が折れている時に、歯がギラギラで下半身カジュアルなのだと腹が立ってきた。

 痛みに耐えながら、ぼんやりと受付の奥の壁に描かれている歯がモチーフのマスコットキャラクターを見ては、早く歯の治療をして欲しいことを反芻している。反芻する歯もないのに。この歯医者のカードにはあいつがいるんだろうか。

「さらにスペシャルゲストもいるので、登場してもらいましょう。」

まだ続くのか、いい加減にしてくれ、リーバイス。すごく歯がゆい思いだ。無いっていうのに、歯が。

 本棚が置かれているさらに奥にある、診察室であろうところから、猫背の男が登場した。それと同時に、歯に矯正器具を付けた小学生が舌足らずに大声を上げた。

「アンディさんだ!!!」

知らん。

 しかし、会場というか、ここは歯医者なのだが、この空間は異様な盛り上がりを見せている。

リーバイスが、みんなを制するように大きめなトーンで、

「皆さん、今回の企画を手伝ってくださった、YouTuberのアンディさんです。拍手を!」

かつてこんなに盛り上がっている歯医者の待合室があっただろうか。地獄の順番待ちをする空間は、ほとんどライブ会場と言っても過言では無いほどの盛り上がりだった。医療施設でこんなに騒いでるヤツらを見たことがない。

「アンディです!みなさーん、いつもご視聴ありがとう。」

大きな拍手が巻き起こった。

 なんだそれは。

 近づいてくるアンディが掛けている大きなメガネには、レンズが入っていないように見える。YouTuberってもっと派手じゃないのかと思うほど地味な彼は、隠しカメラがあるのか、虚空に対しても手を振っている。というか今は私の方が派手だ。ギラギラでツンツンの帽子、タスキ。何よりド派手に歯が折れている。最悪だ。

 テンションについていけず、うつむくと掛けられたタスキがひらりと動くのが見えた。よく見てみるとなにか刺繍されているではないか。白くて気づかなかった。歯の刺繍。それは真っ白い歯の刺繍だった。白地に白の糸で歯が描かれている。なんで白に白で刺繍してるんだ。そもそも歯の刺繍ってなんだ。

「改めておめでとう。1万人記念ということで、スペシャルゲストとして登場させてもらいました!僕のこと知ってますか。」

知らん。

私のテンションが下がる度に他の患者のテンションは上がっているようだ。

男子中学生がアンディのメガネのレンズが入っていないことを指摘してイジっている。いや、いつもこの感じのメガネじゃないのかよ。それならいつもは特徴無しじゃないか。

「もともと僕、この地域出身で、せっかくだから地元で企画をやりたいと思ってたんだよね。びっくりした?」

知らん。知ったこっちゃない。

 地元の地名を出したことで、また盛り上がり拍手が巻き起こる。いい加減にしろ。ここどこだと思ってんだ。

 アンディが私の反応を見て眉間にシワを寄せる。なんでこいつ喋らないんだと思っているのだろう。

 いや、待てよ、こいつ。こいつを知っている。

 この顔知ってるぞ。YouTubeやってた安藤じゃないか?

 写し絵を重ねたように、過去の安藤と目の前のアンディの顔がリンクした。

 その瞬間、私は驚きで口を大きくあけた。

 それを見ていた中年の歯科助手は、バンドエイドを巻いた右手の人差し指で私を指しながら、左手で自分の口を覆い、大きな悲鳴をあげた。

「歯が。」

私の奥歯に視線が集まっているのを感じると共に、会場が地獄の待合室へと戻っていく。本来の歯医者の待合室の暗さに。AIの「ハピネス」はどこかのスピーカーから流れ続けており、異様な空間だった。あのAIさんのポップスがクラシックかのような厳かなものに聞こえる。

 アンディを押しのけ、リーバイスが駆けつける。やっと治療してもらえる。トートバッグに入れた歯の破片はいつでも取り出せるようになっている。

 すると、リーバイスは、派手にやりましたね、とかボソボソいいながら、ゆっくりと歯の状態確認し、少し考えた後ハッキリと、無理です、と言った。

意味がわからなかった。は?と弱々しい声で聞き返すと、

「ウチは矯正専門の歯科なので、治療できません。抜くことは出来ますが、くっつけることは出来ません。」

器具がないんです。申し訳ありませんがほかをお当たりください、と続けた。

 本来地獄であるはずの空間に、別の地獄の雰囲気を上塗りしたこの待合室で、私はこんな格好で放心状態だった。今までのはなんだったのだ。じゃあなんで今患部を見たんだ。矯正のみって何。カジュアル歯医者かよ。だからリーバイスなのか?歯ぎしりしそうになる。

 アンディは私が知り合いということには全く気づかず、アドリブ力のなさを露呈しており、どこを見ていいのか分からないのか、ただ動かずに私のタスキを見て何かに気づいたような顔をしていた。

 というか元はと言えば、こいつのYouTubeを探そうと思ってこんなことになったのではなかったか。腹が立つ。ステンレス氷を食ったのは私だが。

 もうこの意味のわからない空間にいる必要は無い。少し愛着が湧いてきていた歯のキャラクターに背を向ける。一刻も早く他の歯医者にいこうと、かかとを踏んだまま靴をはこうとすると、リーバイスに止められた。

「待ってください、せっかく作ったので、」

と言われたので、パーティセットをつけたままだったことを瞬時に思い出し、タスキに手をかけながら、不機嫌に振り返ると、歯のキャラクターが描かれたクーポン券のようなものを渡された。


1万人記念 親知らず一回無料券